フォトグラファー後藤徹雄の
TOKYO そ ぞ ロ グ!

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登 る 坂、 下 る 坂

「富 坂」 とみさか(文京区春日1丁目)
江戸の昔、このあたりに鳶(とび)が多かったところから鳶坂、転じて富坂となったという。この富坂のある「春日通り」は、かつて路面電車(市電のち都電)が通った広い表通り。登り切ると伝通院前へ。

Nikon D3X 70-210mmF2.8
現在の富坂の歩道、歩道部分だけでも充分な広さがある。
_RSX0039

樋口奈津(一葉)は14歳のとき、父の勧めで中島歌子主宰の歌塾「萩の舎」(はぎのや)に入門している。「萩の舎」は皇族や華族など上流階級の門人を多く集めた和歌の一大勢力であった。
塾では令嬢令夫人にかこまれ、平民出身の一葉は肩身の狭い思いをしながらも歌の成績は良く、師匠にも才能を認められ、何かと目をかけられていた。
父の死後、零落した一家は生活に追われ続けることになるが、「萩の舎」の門人であったことは一葉生涯の矜恃であったであろう。

入塾当時の住まい下谷区西黒門町(今の御徒町あたり)から安藤坂の「萩の舎」へは、本郷台を越え、もう一度小石川台へ上るこの富 坂を通った。上り切って伝通院前を左に折れて萩の舎へ、これは後に本郷菊坂の家に移ってからも変わらなかったはずだ。

さて、伝通院前に出るもう一つの坂道に「善光寺坂」がある。
こちらは裏通りにあたり、現在車両は下り方向に一方通行となっている。一葉の菊坂の家からは僅かに遠回りになるが考えられる道筋ではある。

ならば、一葉はこの善光寺坂を時には上り下りしたであろうか・・・・・
 
この坂道沿い伝通院内に淑徳高等女学校があった(今も淑徳学園中高等部がある)
中島歌子は内弟子となった一葉をここの教師に推薦すると云うが、これは一葉の気を引くための甘言で、一葉の出身と学歴では実現のしようも無かった。
そんな恨みも残る、裕福な家の娘たちが集う女学校を間近に見せられ、さらに下りきれば地獄の閻魔通りへも通じるこの坂を平静な気持ちで歩くことが出来ただろうか。

負けん気の強かった一葉はこちらへはきっと近寄らず、富の坂と名前も縁起の良い、明るい表通りの方を歩いていったに違いない・・・・

と、富坂、安藤坂などを歩きながら、勝手に120年前を想像しているのだが・・・

_DSC0005 安藤坂萩の舎跡
旧小石川区水道町14 史跡案内あり
(文京区春日1-9)
坂を登り切った突き当たりが伝通院






itiyo1・一葉の日記
 〜和田芳恵(講談社文芸文庫)
・炎凍る
 〜瀬戸内寂聴(小学館文庫)
・樋口一葉「いやだ!」と云ふ
 〜田中優子(集英社新書)
・一葉の四季
 〜森まゆみ(岩波新書)
・頭痛肩こり樋口一葉
〜井上ひさし(集英社)

_DSC0075法真寺(文京区本郷5-27-11)で
毎年11月23日催される一葉忌

一葉は4歳から9歳までこの寺の隣に住み幸福な幼年期を送った。
晩年その家を「桜木の宿」と呼んで懐かしんでいる。





「善光寺坂」(文京区小石川3丁目)
Nikon D3S 70-210mmF2.8
_RSS0015

坂の途中に信州善光寺の分院があることから「善光寺坂」
下りきると「にごりえ」でも扱われた「こんにゃくえんま」の閻魔通りへ。
左手の石垣と木立は澤蔵司稲荷(たくぞうすいなり)の境内。今も霊屈へつづく参道のあたりは木々に覆われ都心とは思えない深閑としたところ。
明治の二十年頃の様子は如何ばかりであったろう。
私自身は、静かで好きな坂道なのだが。

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